ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想@京都

9/16-25 7日間のヴィパッサナー瞑想合宿に参加しました。今回は、サティパッターナスッタという仏教の経典を学びながらの瞑想合宿でした。

瞑想自体は慣れてきたもので、いつも通りきちんとこなしていきました。しかし、あるときその慣れている自分に気づき愕然としました。一体いつから、慣れという、悪く言えば惰性によって瞑想を台無しにしてしまっていたのだろうかと。瞑想には、いつも新鮮な気持ちで、瑞々しいその瞬間を体験することが重要です。いつのまにか、重要なことがすっぽりと抜け落ちて、瞑想もぼんやりとしていたのでした。

瞑想が終わると、参加者同士話ができるようになります。そこで、とても素晴らしい出会いがありました。初めて会ったとは思えないような、お兄ちゃんがいたらこんな人なのかなという印象の人です。その人と話しているうちに、瞑想がぼんやりしていたことと、ぼく自身の暮らしぶりがぼんやりとしていたことにつながっていることに思い至りました。それは、端的に言えば、なにかを決断することから逃げていたということで、生きることを恐れていたとも、自由を放棄していたとも言えます。

そこでぼくはまず、憧れつつもなかなか踏み出せずにいた坊主にすることを決断しました。そして、家に戻り、早速ひとつに結ぶことができるほど長く伸びた髪の毛を刈り上げました。これは小さなことのように見えますが、自意識の強いぼくにとっては恐れを克服するために大きな一歩となりました。

恐れの克服、この挑戦はまだまだ続きそうです。